ポロの魅力を徹底解説
王侯貴族のスポーツ、ポロの競技場は、今でも国際的な人脈作りに欠かせない社交の場だ。
選手はもちろん、シックないでたちの観衆も、スイス、アメリカ、アルゼンチンと試合を追いかけて世界を飛び回る。
シャンパンの泡のごとく優雅でセレブな雰囲気で知られるポロ競技だが、フィールドで繰り広げられるドラマは壮烈だ。丹念に調教された由緒正しい血統の馬にまたがり、機敏かつ攻撃的にプレイする選手らは、さながら現代の剣グラディエーター闘士。時速30キロというすさまじい勢いでフィールドを駆けるこの競技では、重傷者が出てもおかしくないほどだ。トップレベルの選手が出場するいわゆるハイ・ゴール・ポロの世界では、人も馬も、まさに剣闘士の精神を持ったアスリートなのである。
ポロは歴史の古いスポーツで、ペルシャ(今のイラン)で誕生し、植民地化と共に世界へ広まった。2000年以上前、兵士が行う訓練の一環だったポロは、13世紀、イスラム教徒の侵攻と共にインドへ伝わる。インドがイギリスの植民地になると、今度はイギリス軍が盛んに導入し、騎兵隊が楽しむ娯楽となった。こうした兵士らが本国に持ち帰ったため、19世紀の終わりには、イギリスの王族や貴族がポロを嗜むようになる。1875年にロンドンで行われた試合には、数千人もの観客が集まったほどだ。
ポロはその後まもなくアメリカに渡り、ニューヨークで流行した。さらにイギリス人がポロと共にアルゼンチンに移住。牛を放牧しながらポロに熱中した。今日、アルゼンチンは国際的にもポロの強豪国で、国内のポロ人気はサッカーに迫るほど。世界のいわゆる10ゴール・プレイヤー(ハンデ10という最高レベルの選手)は、全員アルゼンチン出身である。
歴史上最も著名なポロ愛好者はおそらく、イギリスの元首相、ウィンストン・チャーチルだろう。准大尉だった若い頃にポロを始め、インド在任時代には名手として知られるようになった。「ポロのハンディキャップ(選手としての格付け)は、世界への切符」というチャーチルの言葉は有名だが、それは現代も変わらない。プロのポロ選手は、毎年決まったスケジュールに沿って世界各地を飛び回る。また、ポロの世界に足を踏み入れた人は、そこが意外なほど馴染みやすいコミュニティーであることに気付くはずだ。「ポロ・パーソン」を合言葉に、ハンデ2の初心者でさえ、仲間として迎えてもらえるのである。
世界のポロシーズンは、1月に開催されるスノーポロで華々しくオープンする。フランスでもヴァル・ディゼールとムジェーヴ、そしてクルシュヴェルでそれぞれ大会があるが、スイスのサンモリッツで開かれるスノーポロ・ワールドカップ(snowpolo-stmoritz.com)が最も格上だ。選手らは氷と雪で覆われた湖上でぶつかり合い、モンクレールのジャケットを着込んだ国際色豊かな観衆は、VIP用のテントでペリエ・ジュエのシャンパンを楽しむ。
サンモリッツでのシーズンが終わったら、一行は暖かなアメリカの南フロリダへと移動する。目的地はパームビーチの国際ポロ・クラブ、全米ポロ協会主催のグラディエーター・ポロ(gladiatorpolo.com)だ。100ヘクタール以上の広さを誇るこのスタジアムは、ポロ好きにとってはまさに聖地。会員やその招待客なら、フィールドよりもはるかに高い位置にあるボックス席から観戦できる。
国際ポロ・クラブで開かれるイベントで最大級のものは、全米オープン・ポロ選手権(uspolo.org)だ。お洒落なパームビーチの観衆はいつも、目もあやないでたちで集まってくる。復活祭前後の暖かい時期なので、皆、リリー・ピュリッツァーのドレスや南フロリダらしいカラフルな色を纏い、眩いばかりだ。もうひとつ大切なイベントとしては、毎年2月に開催されるルケーシー40ゴール・ポロ・チャレンジ(uspolo.org)がある。怪我や病気の選手と馬に経済的支援を行うポロ・プレイヤーズ・サポート・グループの資金集めを目的としたこの大会では、ハンデ10の最強プレイヤーばかりを集めた2チームが対戦する。
2019年にマークとメリッサのガンジー夫妻とポロチームのオーナー、ボブ・ジョナヴェツが南フロリダに共同設立したワールド・ポロ・リーグ(worldpolo.org)は、チームごとの合計ハンデが26という、アルゼンチン以外では最もレベルの高いポロリーグだ。このリーグはルールを簡略化することで、ハイレベルの試合をよりテンポ良く、観客が見やすいペースで実施することを目的に作られた。
フロリダのシーズンが終わると、ポロ愛好家の群れはイギリスへと向かう。お目当ては、ウィンザー・グレート・パークのガーズ・ポロ・クラブなどで開催される、夏の社交シーズンにおける最大級のイベントの数々だ。伝統的なイギリス式のポロを観たければ、由緒正しい貴族が集まる5~6月のカルティエ・クイーンズ・カップ(guardspoloclub.com)へ足を運ぼう。この大会にはエリザベス女王も参席し、優勝チームのメンバー一人一人に賞品を授与する。
ロンドンの南西わずか85キロのカウドレー・ポロ・クラブで毎年7月に開かれるキング・パワー・ゴールド・カップ(cowdraypolo.co.uk)は、夏場のもうひとつのビッグイベント。このトーナメントの魅力は、何といっても綺羅星のような群衆と風情ある田園の風景、そしてフィールドの向こうにそびえるカウドレー城の廃墟だ。
アメリカでは夏のシーズン、ニューヨークに程近いピーターブラントのグリニッチ・ポロ・クラブで、東海岸随一の試合が楽しめる。またロングアイランド島のザ・ハンプトンズ地区では、6~7月にブリッジハンプトンの美しい競技場(polohamptons.com)で、次々と試合が催される。
アメリカのコロラドでポロというと驚くかもしれないが、アスペンバレー・ポロ・クラブのおかげで、同地のポロもなかなか有名になってきた。毎年夏に同クラブが主催するチャッカーズ・シャンパン&キャヴィアチ(aspenvalleypoloclub.com)は、アスペンバレー病院財団の資金集めを目的とした大会で、2019年には100万ドルを超える収益を上げている。
アメリカの西海岸で最もエレガントな会場といえば、サンタバーバラ・ポロ・アンド・ラケット・クラブだろう。ここでは数年前に、イギリス王室のウィリアム王子もプレイしている。特に毎年8月に開かれるパシフィック・コースト・オープン(uspol o. org)は見逃せない。
ヨーロッパのポロシーズンは、夏の後半、スペインとフランスへと移る。ハイ・ゴール・ポロの一番の中心地は、スペインはソトグランデのサンタマリア・ポロ・クラブで、ここには7~8月、世界トップクラスの選手が集まってくる。トルネオ・インターナショナル・デ・ポロ(tip.santamariapoloclub.com)は、1チームの合計ハンデが22まで上がっており、今ではヨーロッパにおける重要大会のひとつと見なされている。
北フランスのドーヴィルは、その昔、ココ・シャネルがイギリス人ポロ選手アーサー・カペルの出資で最初のモードブティックを開いた街だ。ここでは8月、フランス・ポロの最高峰、クープ・ドール(deauvillepoloclub.com)が開かれる。フランスでは、南仏サン=トロペで開かれるオープン・ド・ソレイユ(ポロ-st-tropez.com)も人気が高い。
だがもちろん、アルゼンチンほどのポロ大国はどこにもない。この国では、ポロはもはや日常生活の一部で、国民的スポーツであると同時にビッグビジネスでもある。 トルトゥガスとハーリンガムがアルゼンチンの二大大会だが、シーズンのクライマックスはポロのスーパー・ボウルとも言うべきアルゼンチン・オープン(aapolo.com)だ。ポロ好きにとって、ピラール・スタジアムで観る試合は、世界のどの試合にも代えられない。プレイに釘付けになった熱狂的なファンのエネルギーで、観客席はまさに火花が散らんばかりである。
アルゼンチン・オープンが終わるか終わらないかのうちに、スター選手らはセントレジス・ワールド・スノーポロ選手権(aspenvalleypoloclub.com)に向け、再びアメリカ、アスペンへと移動する。この大会をガンジー夫妻が初開催したのはわずか7年前のことだが、早くも冬休みの恒例行事として人気を集めている。
試合やフィールドサイドのショーを見るのも楽しいものだが、そのうち自分でもマレットを手に取ってプレイしてみたくなるかもしれない。これほど刺激的なスポーツはそうない上、ポロには社交という、より実用的な利点もある――ポロ愛好者同士の関係は非常に親密なため、世界中に人脈ができるのだ。ゴルフコースで契約成立というのはよくある話だが、実はポロ競技場でもかなりの商談がまとまっている。
ポロはもちろん、誰にでも楽しめるスポーツではない。良い馬を持つことは必須だが(勝敗の75パーセントは馬にかかっているという)、馬は恐ろしく費用がかかる。それに馬に乗ること自体、ましてあのマレットを振りながらとなれば、かなりの体力が求められる。だが講習を受け、一度楽しいと思ってしまったら、夢中になってしまう可能性が高い。古い格言が言うように――「ポロは単なるスポーツではない。ポロは、ひとつの生き方なのだ」。