自分好みの旅館を選ぶ
古民家民宿「ちいおり(篪庵)」(chiiori.org)は、徳島県三好市から風光明媚な四国を縫うように走り、祖谷渓と茅葺き屋根の民家を通り過ぎた山里にある。大歩危の駅を過ぎて、数マイルにわたって曲がりくねった道を行くと、最後の売店と信号が現れる。さらに杉の木立の間の舗装されていない道を進むと、急角度のジグザグカーブが続き、突然、茅葺屋根から煙が立ち上る、築300年の古民家が姿を現す。
古民家の宿泊は日本全国で流行しており、国や地方自治体も歴史的建造物の改修を支援している。長年、最先端のテクノロジー開発に予算を注ぎ込んできた日本にとって、古い建物の改修に資金を提供するのは異例と言える。「戦後、私たちはこの国を復興させるため、効率的で近代的なものを作ることに集中してきましたが、その結果、自分達のルーツを失ってしまったんです」長崎に拠点を置く旅行マーケティング会社チャプター ホワイトのCEO、ホワイト美佳は語る。「日本はようやく、伝統的家屋や工芸品に価値があることに気づいたのです」。
江戸時代の元禄年間(1688-1704年)に建てられたちいおりは、地域で最古の民家の一つで、古さの中にも新しさを感じさせる建物だ。石の上に松や杉、栗の木材を使って建てられており、釘は一本も使われていない。室内は障子や囲炉裏があり、かつての雰囲気を留めているが、1970年代に屋根の葺替えを行い、2011年にはアメリカ人オーナーで作家のアレックス・カーが大規模修繕をするなど、何度か手を入れている。工事の大半は古民家の保全作業で、江戸時代の農家の建築様式は残しつつ、現代風な離れやモダンなキッチンを加え、2012年、日本初の古民家民宿としてオープン、伝統的な日本の古民家に泊まることで、地域の文化を紹介する新しいトレンドを作った。
その後、国内では、歴史的建物を利用した施設が次々とオープンしている。東京の芸者スクール、鞆の浦の古い商家など、これまでラグジュアリーホテルが成し得なかった、日本の文化、風情、歴史の世界への発信に貢献している。
芸者の街
東京、神楽坂の かくれんぼ横丁は、その名の通り、かくれんぼが出来そうな小さな路地だ。ブティックホテルのトランクハウス (trunk-house.com)へ向かおうと路地に入ると、間違いなく道に迷うだろう。すると、優しい笑顔を浮かべた黒服の青年が現れ、名前を呼ばれると、ホテルへの道案内をしてくれる(青年はいつの間にか、あなたの荷物を持っている)。こうしてコンクリート、石、木で出来たトランクハウスの正面玄関にたどり着く。入り口の松と黒格子は、かつて芸者がいるお茶屋の目印だったが、今は旅行者を外の喧噪と隔離してくれる境界線だ。
2019年9月、トランクハウスは、築70年のお茶屋をワンルームホテルに改装し、タウンハウスホテルとしてオープン。ホテル専属の執事とプライベートシェフが、茶会から優雅なフランス料理、和食フュージョン料理、ジントニック、金箔をのせた和菓子まで、あらゆるリクエストに対応してくれる。建物は古い時代の東京のサロンを再現しているが、すべてが現代風にアレンジされている。室内にはジャン・プルーヴェやジョージ・ネルソンの家具が配置され、日本の伝統的なステテコのデザインを生かした藍染めリネンの部屋着が用意されている。また、檜風呂がある浴室の壁にはスキャンダラスな春画が華を添えている。ホテルには東京で最小のプライベートディスコもあり、山崎18年を飲みながら朝方までカラオケに興じることも可能だ(むしろ推奨されている)。執事は夜が明けるまであなたのグラスが空になる前にお代わりを用意し、翌朝は味噌汁と白飯で、二日酔いを癒してくれるだろう。
二つの時代の狭間で
尾道の目抜き通りからLOG (l-og.jp)までは、100段の石段を上らなければならない。それは尾道の名所である千光寺(平安時代の大同元年建立)までの半分にすぎないが、ホテルへ行くには他に方法がないのだ。体格のいいスタッフの助けを借りて階段を上ると、大宝山の中腹に建つピンク色のモダンな建物、LOG(ランタン尾道ガーデン)が出迎えてくれる。かつて集合住宅だった建物をインドの建築事務所スタジオ・ムンバイが改修して、スタイリッシュな隠れ家に生まれ変わった。施設内には尾道水道を眺めながらシャンパンや日本酒が飲めるバーや、パンケーキの朝食や、絶品しゃぶしゃぶの夕食が楽しめるレストランがあり、ギャラリーには建物改修時の様々な資料がアート作品のように展示されている。
LOGは全6室のミニマルなホテルで、敷地内にある出雲屋敷 (minatonoyado.jp)は一棟貸しをしている。千光寺山麓の木立の中にひっそりと佇む出雲屋敷は、江戸時代、神聖とされた尾道の山手に、寺社以外で建てられた唯一の建物であり、港町だった尾道の人々の暮らしぶりを垣間見ることができる。改修の際は歴史的建造物の保全と、この地域の静かな環境を守るため、現代的な機械は一切使わずに修復された。屋敷内は尾道市街を一望できる広々とした和室、2階の寝室、深い檜風呂と緑のタイルの浴室、フルキッチン、リビングルーム、茶室など、ミニマルで清楚な空間が広がっている。眼下の尾道の眺望を楽しみながら、歴史を感じさせる出雲屋敷とモダンなLOGを行き来すると、二つの時代をタイムスリップする感覚を味わうことができる。
塩から始まる旅
広島の小京都と言われる広島県竹原市は、歴史ある美しい町並みを残しながらも、京都のように観光地化されていない。町並み保存地区には、明治時代の家屋や100年以上の歴史がある酒蔵と塩問屋(港町であり、数百年にわたり日本有数の塩の産地だった)が並び、旅行者が楽しみにする日本の原風景が広がる。2019年8月、この地区の古民家を改造してオープンしたのが、格子戸と麻の暖簾が目印の、ニッポニアホテル竹原 製塩町 (nipponia-takehara.com)だ。
ホテルは歴史的な建物に、モダンなタッチが加えられている。宿泊棟であるMoso棟は、明治時代は酒蔵兼邸宅だった。客室にはミニマルで現代的な家具とペンダントライトの照明があり、シンプルさとミッドセンチュリーモダンを感じる内装だ。一方で、古い木の階段や縁側など、オリジナルのディテールも随所に残されている。宿の檜風呂に入ったら、浴衣に着替えて町を散策しよう。向かい側にはレストラン棟があり、瀬戸内海の鈴木ファームの牡蠣(竹原塩で)、旬のフォアグラのイカ墨煮など、海の幸をふんだんに使った全8品のコース料理が楽しめる。地元アーティストによってライトアップされた庭や、部屋タイプによっては小さな茶室付きの客室もあり、宿泊客を楽しませている。
櫓屋(ろや)
広島県鞆の浦は、瀬戸内海国立公園を臨む、古い町並みが残る港町だ。絶景が見られる福禅寺や、明治・昭和の建物が残る街並みは、何世紀もの間、詩人や芸術家を惹きつけてきた。この町で最も古い櫓屋(和船の漕具を製造する商家)が、古民家ホテル(4ベッドルーム)として生まれ変わった。
2019年8月オープンの「鞆の浦 潮待ちホテル 櫓屋」(shiomachi-hotel.com)は、東京の設計事務所「株式会社ワサビ」の発案で誕生。古い切妻屋根や壁に掛かった木製の櫂は残しながら、金箔の壁や開放感のあふれる檜の露天風呂といった現代的デザインを加えている。坪庭付きの客室はカラフルな座布団がアクセントで、伝統とトレンドが見事に融合している。敷地内のカフェ & バーでは、地元のクラフトジンを気軽に味わうことができる(ご当地メニューの鯛バーガーもお忘れなく)。ゲストは浴衣姿に下駄履きで石畳の道や階段を歩いたり、温泉に入ったり、系列ホテルで会席料理を食べたり、地元の文化にどっぷりと浸ることができる。 夜になると通りは、観光客が時折通り過ぎるくらいで、数百年前と変わらぬ静かな時間が流れている。